
興國 vs 東福岡戦のオフサイド判定を巡って、多くの議論が起きている。
しかし、その多くは“本来の論点”とは少し違う場所で語られているように見える。
結論から言えば、この場面は競技規則上オフサイドであり、ノーゴールとすべきだった。
ただし、SNSで広がっている批判の多くは、規則の基準とは別の話になっている。
本稿では、
- なぜこの判定を「誤り」と考えるのか
- どこが本来の論点で、どこが論点ではないのか
この二点を整理したい。
この判定を「誤り」と考える理由
詳細な規則解釈については前回の記事に譲るが……
位置関係を簡単に言えば、
「パスが出た瞬間、青(興國)30番はゴールラインの外側にいた」
という状況である。
その後、赤(東福岡)の選手がボールに触れた可能性はあるが、体勢・反応・動作のいずれを見ても“意図的なプレー”とは評価できず、単なるディフレクションと考えるのが妥当だ。
よって、30番のオフサイドポジションはリセットされず、いわゆる「戻りオフサイド」の状態でプレーに関与したことになる。
以上から、正しい判定はオフサイドであり、ノーゴールとすべき場面だった、という結論に至る。
ただし、現在広がっている批判は論点がずれている
多くの反応は感情的には理解できるが、競技規則上の論点とは必ずしも一致していない。
特によく見られる主張は、次の三点に集約できる。
①「オフサイドポジションにいた」だけでは判断できない
青29番のパスが出た時点で、青30番がオフサイドポジションにいたこと自体は明らかである。
しかし、その直後に赤(東福岡)の選手がボールにチャレンジしている以上、
そのプレーが「守備側競技者の意図的なプレー」であったかどうかを評価する必要がある。
オフサイドは、位置だけでなく、その後のプレー内容によってリセットされる場合があるという点は、しばしば見落とされがちである。
なお、この点について私は、当該プレーは意図的なプレーではなく、ディフレクションに該当すると捉えている。
②「見えた/見えていない」は誤審の理由にはなっても、基準ではない
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副審は興國30番の位置に気づいていなかったのではないか。
-
ゴールネットの向こう側で視認できなかったのではないか。
-
VARがあれば確認できたのではないか。
これらの指摘は、試合を見た者として自然な反応であり、誤審が起きた理由を考えるうえでは重要だ。
しかし、ここで注意したいのは、これらは「規則上の正否」を判断する基準とは別の話だという点である。
この二つを混同すると、
「なぜ誤審が起きたのか」(原因)
と
「競技規則上正しい判定は何か」(評価)
が曖昧になってしまう。
③「結果が重大だった」ことと、反則の成立は別問題
この場面が得点に直結したことから、
「だからこそオフサイドであるべきだった」
「この1点が試合を左右した」
といった声も多く見られる。
こうした反応は、試合の流れや勝敗を見ていれば自然なものであり、理解できる。
しかし、反則の成立はプレー内容を競技規則に判断されるべきものであり、結果の重大性によって左右されるものではない。
仮にこのプレーが得点につながらなかったとしても、同じ動きであれば、同じようにオフサイドと評価されるべきだし、得点につながったからといって、それが「より厳しく判定されるべきだった」という根拠にはならない。
反則の成立と、結果の重さは別々に扱う必要がある。
副審は何を見て、何を見落としたか
では、なぜこの場面で副審の旗は上がらなかったのか。
ここで重要なのは、判定の正誤を断じることではなく、副審がその瞬間に何を見て、何を見落とした可能性があるのかを具体的に想像することである。
結論から言えば、副審は「30番がゴールネットの向こう側にいたこと」を十分に認知できなかった可能性が高い。その理由は、次の三点に整理できる。
① 副審の注意は“最終ラインとパスの出所”に集中していた
この場面で副審が担う主な役割は、
- オフサイドラインの位置を保つ
- パスが出た瞬間の攻撃側競技者の位置を確認する
- その後のプレー関与を判断する
という三つである。特にこの瞬間、守備側の選手が頻繁に入れ替わり、オフサイドラインの把握自体が非常に難しい状況だった。

副審の視線は、自然と「オフサイドライン」と「パスの出所」に強く引き寄せられる。
② 30番は“ゴールネットの向こう側”に位置していた
パスが出た瞬間、興國30番は、ゴールネットの向こう側でゴールラインの外にいた。
副審はオフサイドラインを注視していて、オフサイドラインよりゴール側にいる攻撃側競技者は、主に間接視野で捉えることになる。
目を凝らして攻撃側競技者の存在を見ていたら見落とさなかったかもしれないが、副審の置かれているこの状況では、それは難しい。
③ 直後の“守備側のチャレンジ”が副審の注意を奪った
パス直後、東福岡の選手がボールにチャレンジした。この瞬間、副審の注意はそちらに向かう。
その結果、ゴールラインの外から戻ってくる30番の動きが認知から漏れ、
副審の頭の中では
「オンサイドからの抜け出し」
「正規に決まったゴール」
として状況が整理されてしまった可能性がある。
ここで強調したいのは、これは副審個人の能力や姿勢の問題ではないということだ。
複数の情報を瞬時に処理しなければならない状況では、“見ているつもりでも見えていない”現象は、誰にでも起こり得る。
サッカーの副審は、
- 最終ライン
- パスの出所
- 守備側のチャレンジ
- 攻撃側の動き
を同時に処理しなければならない。
この場面は、その負荷が極めて高い状況だったと言える。
感情・結果論・制度論は切り分けて考える必要がある
本件を巡っては、
「VARがあれば違う結果になったのではないか」
という意見も多い。
確かに、VARがあれば、守備側競技者のプレーの性質や位置関係について、より厳密な検証が可能だっただろう。
一方で、高校の部活動の大会という枠組みの中で、プロサッカーと同様のコストや体制を要するVARを導入することには、現実的な制約がある。
重要なのは、
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規則上、このプレーはどう評価されるべきだったのか
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誤審を減らすために、どのような改善が現実的か
-
その結果生じる感情を、どう受け止めるか
これらを同じ次元で混同しないことである。
判定に納得できない気持ちは当然理解できる。ただ、その感情と、競技規則に基づく評価、そして制度としての改善策は、別々に扱う必要がある。
競技規則に照らせば、このプレーはオフサイドとすべきであり、ゴールと判定したことは誤審だったといえる。一方で、どれだけ頑張っても人間がやることなので、誤審が完全にゼロになることはなく、だからこそ現実的な改善策を考える必要がある(たとえVARが入っても誤審が完全になくなるものではないし、それを期待してはいけない)。
感情だけで終わらせず、共通の土台である競技規則に立ち返りながら議論することが、
スポーツをより良くするための第一歩だと思う。